その19 2005.2.25

桃源郷

  北海道教育大学(旭川)の西川恒彦先生は、もう20年以上にわたって北海道産の植物の染色体数を調べて教育大学の紀要や付属の大雪山自然教育研究施設の研究報告などに報告をされています。オオバキスミレの関係では3件、6ヶ所のものについて報告されています。
 それによりますと3ヶ所のものについては染色体数 2n=12、あとの3ヶ所のものについては 2n=18つまり3倍体であるとされています。

 図鑑によればオオバキスミレ類の染色体数はシレトコスミレなどとともに 2n=12で日本のスミレの中で最も少ないとされています。ちなみにタチツボスミレ類は 2n=20を基本とし、ミヤマスミレ類は 2n=24の系列となっています。3倍体の報告は数少なくオオバキスミレ類では西川先生が初めてのようです。前回の探訪記でとりあげた「FLORA OF JAPAN」でも3変種の染色体数が 2n=12と記載されています。

 2000年に報告されたケエゾキスミレの3倍体が生育するという場所に、私はまだ行ったことがありませんでした。採集された町の名前をたよりにその地域の地図を何度眺めたことか。そして是非行ってみたいと思う一つの滝の名前が私の頭の中で大きく膨らみはじめたのです。なぜそこなのかと言われても返答のしようがないのですが、ここならあるかもしれないという山勘が働いたのです。

 2004年の春、その滝に向かいました。大きな国道から分かれて道はだんだん狭くなります。通ったことのない道路なので、助手席のつれあいに地図を見てもらいます。「あの信号から左に曲がって」とかいう言葉にうなずきながら私は運転に集中します。つまりはカカーナビというわけなのです。道はやがて未舗装の林道になりました。目指す滝まではもう一本道です。いやが上にも気持ちがたかぶってきます。本当にあるのだろうか、いやきっとあるはず。
 道の脇を流れる川がだんだん細くなり,水しぶきが多く見えます。上流域に入った証拠です。
 あった! 川岸に黄色い一群れのオオバキスミレ。

 ほどなく駐車スペースと四阿のある滝につきました。大きなエゾヤマザクラがあちこちにあって、満開の時期は大分過ぎていましたがまだまだ淡いピンクのにぎわいを見せています。四阿に立って滝をのぞいて驚きました。滝へと降りる歩道の周辺はすばらしいオオバキスミレの黄色い群落に囲まれていたのです。それほど落差のある大きな滝ではないのですが、滝を見下ろす開放的な空間、ミソサザイやキビタキのにぎやかなさえずり、四阿の回りにも歩道にも、そしてマイヅルソウやオオバキスミレの葉の上にも桜の花びらが散り敷いて、小さな桃源郷の趣をかもし出しています。おだやかで暖かく、私たちの他はだれもおりません。

 北国の山は、半年の雪から解放されて5月になると林床の草花たちがいっせいに花開きます。その時期はどこの山に行っても本当にすばらしいのですが、ここ2・3年わたしのスミレ探訪に同行するようになったつれあいはよほどここが気に入ったらしく、滝の方に降りていったきりなかなか戻ってきません。そのうち大きな身ぶりでしきりに私を呼んでいます。
 写真を撮りながら私も降りて行きました。黒くて大きな鳥がすぐ近くにいて滝の裏側へ潜っていったというのです。話からするとどうやらカワガラスのようです。
 つれあいには人を怖れない鳥との出会いがとても新鮮だったのでしょう。

 滝のそばにはまだエゾリュウキンカが咲き残っていました。そのほかには、オオタチツボスミレ,ミヤマスミレ、エンレイソウ,ニリンソウ、ヒトリシズカなどが混じりあって咲いています。私もこの場所がとても気に入りました。時間はたっぷりあります。テーブルを出して、お湯を沸かし,コーヒーを落とすことにしました。

 苔むした歩道の様子からもここはあまり人が訪れていないようです。
満開の桜の時期に再び来てみたいと思いました。

 さて今回夫婦ともども感激した桃源郷のオオバキスミレは、今まで見たオオバキスミレの中でどのような位置を占めるものだったのでしょうか。
 花はほとんどが2花。1つはすでに終わっているものもありました。葉は3枚のものが7割ほどでほとんど輪生せず、最下の葉と次の葉の間隔が1cm以上離れるものも2割ほど見られました。葉はわりと大きく、巾広く、どうみてもオオバキスミレと見えるものでした。ただ葉縁の毛の長さは0.2〜0.4mm程度あり、特に葉裏の毛が長いのが目立ってケエゾキスミレに似ていました。西川先生が採集されたところとは違っていたかもしれませんが特別ほかの地域のものと変わっているようには見えませんでした。
 この場所はオオバキスミレが多産する道北とケエゾキスミレが産する夕張山地の中間に位置しています。そこに生育している花もやはり両者の中間的な特徴を有するものであったようです。

 西川先生は報告の最後に次のように書かれています。「キスミレ節は基本数を6とするので、今回再び 2n=18の数が観察されたことから、ケエゾキスミレには倍数性が認められることになる。このことが北海道でのオオバキスミレ類の変異を複雑なものにしているのかもしれない。」
 もしかしたらどこかで人知れずオオバキスミレの4倍体が生育しているのかもしれません。ますます北海道のオオバキスミレ探訪は興味の尽きないものになってきました。

 



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