その24 2006.10.18
2005年の秋のこと、友人に初めて渓流釣りを教えてもらいました。その時彼はヤマメを十数匹も釣りあげましたが、私には1匹も釣れませんでした。でもどういう風の吹き回しかその後も時々ドライブのついでに釣りのまねごとをしてみたりしていました。そしてやっとじぶんで釣れたのはウグイが3匹、ヤマメとニジマスが1匹ずつでした。釣れてみると面白さも倍加します。もともと沢沿いにはよく行きますので、まわりの植物だけでなくて川のなかの魚にも興味が湧いてきたのです。
雪に降り込められた冬の間、手にした本のなかに中公新書の一冊「川の魚たちの歴史」がありました。ヤマメやイワナ、オショロコマといった渓流魚の自然史も興味深かったけれども、この本のなかでとりわけ私の心をつかんだのは、著者のお一人北海道大学の後藤晃先生が研究されたハナカジカという魚でした。
北海道の川に棲むちょっと頭でっかちの憎めない顔をした魚です。私もこの本を読むまではそんな魚のことはまるで知らなかったのですが、後藤先生はこの魚が実はよく似た2種類の魚を混同したものだということを初めて明らかにしたのです。1980年の事でした。川の中上流に棲んで川の中だけで生涯をすごすハナカジカと、主に下流に棲み海と川とを行き来するエゾハナカジカ。このうちハナカジカは北海道と東北の一部にだけ分布する日本固有種で、遠い昔にエゾハナカジカから別れて新しく生まれた魚だというのです。どうやらこの種分化が北海道の川を主舞台として行われたらしい。しかもとても興味深いことに、はるか昔、エゾハナカジカの棲む川でハナカジカという魚が進化しつつあるとき、全く別の川でも同じ出来事が同様に進行したらしいのです。示し合わせたわけでもないのにあちらの川とこちらの川で別々に進化して、出来上がった魚が実は同じ種になったというのです。こんな進化の仕方ってあるの?と驚いたのが最初の印象でした。
普通は離れた地域に孤立的に点々と同じ動物なり植物なりが分布していたら、それは一方で生まれたものがなんらかの方法で他方へ分散したか、あるいは広域分布種が徐々に分布を狭めてやがていくつかの場所に隔離されたかのどちらかだと考えられます。ハナカジカはそうではなく初めからあちこちにほぼ同時に生まれたらしいのです。
後藤先生はその後もいくつかの著書の中でハナカジカのこの一見奇妙な種分化をDNA分析などの新しい視点で検証されています。2001年の最新の著書では「その成果は、生物多様性とその起源に対するより深い理解に役立つとともに、世界的に認知される新しい種分化説の構築へと展開されつつある。」とも述べておられます。
同じ渓流に棲む魚でもイワナ(アメマス)とオショロコマという近縁な二種類の魚の棲み分けについては同じ北大の石城謙吉先生が書かれた岩波新書「イワナの謎を追う」に興味深く書かれています。氷河期以降、海と川とを行き来するイワナが全道の河川に分布を広げ、それに追われるようにしてオショロコマは道央の山岳地帯の上流域と道東の河川に陸封されてしまったというのです。
北海道のオショロコマの場合は広域分布種が分布を狭めて分断隔離された例にあたります。植物では高山植物と同じ分布様式と言えましょう。
私が川の魚の分布に興味を持ったのは、このホームページの主役オオバキスミレ、特にフギレオオバキスミレの分布について、なぜ道南と道北に分かれて分布しているのかという疑問に新しい解明の糸口が見つかったような気がしたからです。
今一度簡単におさらいをしてみます。フギレオオバキスミレは道南では松前半島から狩場山地にかけて、ニセコ山地、積丹山地、及び胆振山地に。道北では増毛山地から天塩山地にかけて分布しています。札幌西南部山地に全く分布していないのが不思議です。
基本変種オオバキスミレは渡島半島と道北の低地に大きく離れて分布しています。
フギレオオバキスミレが高山植物と同様に分布域をせばめて多雪の山地に隔離されたものだとすると、多様な中間型はあとから分布してきたオオバキスミレとの交雑によるとも考えられますが、スミレ類は自家受粉が一般的ですので中間型の広がりの大きさが解せません。またオオバキスミレ自体が南北に分かれてあいだが欠けていることの説明も難しい。
あるいはいづれか一方で生まれたものが何らかの方法で他方へ移動したとすると、飛び移った先でさらにあちこちの山の高山帯にのみ典型的なフギレオオバキスミレのタイプが見られる理由が分かりません。
もしかして道南道北の両方で独自にオオバキスミレからフギレオオバキスミレへと進化したのではないだろうか。こんな夢想がわたしのなかにわき上がってきたのです。
植物でもこのような種分化の例があるのではなかろうか、関係がありそうな本をいろいろ読んでみました。しかしはっきりとそう書かれているものにいまだ出会いません。
たとえば近年研究が進んでいる渓流沿い植物などは川の中上流域などの渓流帯で種分化が行われたのですから、淡水魚の陸封種分化と似ているような気がします。そこでいくつかの本を丹念に読んでみましたが残念ながら起源について言及したものは見あたりませんでした。
ケイリュウタチツボスミレも渓流沿い植物のひとつで、タチツボスミレの渓流型変種とされています。いがりまさしさんの「増補改訂日本のスミレ」によると、長野県・愛知県・神奈川県・広島県・富山県・京都府などの各地で発見されているようです。スミレ類の種子散布距離は短いので川から川へと分散してゆくことは考えにくい事ですし、陸上に広く分布するタチツボスミレが渓流帯に適応してケイリュウタチツボスミレが成立したものならば、似たような環境ではどこでも同様の淘汰圧がかかるでしょうから、それぞれの地点で独立して生成したと考えてもおかしくありません。
インターネットで、2003年の日本植物分類学会で東北大学の岩波均さんらが「 ケイリュウタチツボスミレの起源と集団間分化」というポスター発表を行っていることを知りました。題名からにしてなんだか私の関心事そのままというような発表です。図書館などを通じてこの発表の中身を知ろうとしましたがかないませんでした。
そこで思いあぐねて、とうとうケイリュウタチツボスミレの発見者で日本スミレ同好会の代表をされている山田直毅さんに、起源についてのお考えとポスター発表について、直接メールで質問してみました。
山田さんは、記載論文発表後も各地のケイリュウタチツボスミレの形態・生態(特に発芽習性)の観察を続けられていて、生育環境や形態がケイリュウタチツボスミレの範囲に収まるものであっても、発芽日数・発芽率には相当の変異があって、最も渓流沿い植物の定義に合致するものはタイプ地の木曽川水系など中部地方太平洋側に流れる河川上・中流に自生するものであることを詳しい資料も添えて教えてくださいました。ポスター発表の内容についてもご教示くださって、DNAによる系統解析の結果ケイリュウタチツボスミレは複数回起源である可能性がありそれに伴う葉の形態変化は繰り返し生じた現象であろうという岩波さんの結論も妥当であろうとのお考えでした。
起源地が複数あるのではないでしょうかという私の質問に「私も、同感です」とお返事下さったのです。
私は山田さんからのお返事に舞い上がりました。変種とはいえ、あちこちで独立平行的にタチツボスミレから分化した可能性のあるものが同じケイリュウタチツボスミレという名前で呼ばれている。フギレオオバキスミレについても同様のことが言える可能性が出てきたのです。
折しも今年の3月、国立科学博物館叢書の一冊として出版された「日本列島の自然史」という本の中に、植物学者の秋山忍先生が「日本のツリフネソウ属植物(ツリフネソウ科)」というコラムを載せておられますが、そのなかで、「ハガクレツリフネの変種エンシュウツリフネの起源は一つではなく、各所でハガクレツリフネから分化したと考えられるのである。」と書かれているのを眼にしました。
やはり植物でもこういう種分化の例があったのだということを知りました。
ヤマメ釣りから始まった旅もようやくフギレオオバキスミレにたどりついたようです。ハナカジカという魚がエゾハナカジカから分かれて上流へ上流へと進んでいったように、フギレオオバキスミレも川の上流域から谷頭へそして雪田へと登りつめていったのでしょうか。
でもただ夢想しているだけでは仕方がありません。東京都立大学の鈴木和雄先生がイカリソウ類の起源と種分化についてまとめた「日本のイカリソウ」という本のまねをして、私も主成分分析というものをやってみることにしました。
いままでに集めたデータのなかから互いに関連のあるものや、成長にともなって大きく変わるもの、変異が少なすぎるものは除いて、茎生葉の数、第一葉と第二葉の間の節間の長さ、前のページに詳しく書きました毛深さの度合い、第一葉の巾と長さの比、第一葉の欠刻の度合い、の5つの変量について、道内44ヶ所のフギレオオバキスミレの平均約7個体のデータの平均値を用いました。欠刻の度合いというのは第一葉の一番大きな欠刻を右の図のようにして測ったものです。
計算はフリーソフトの「 R 」を使いました。なお3ヶ所の3個体の節間は異常に長く、平均値が大きく変わるので分析から除外しました。
結果はどうだったでしょうか。
右の「北海道のフギレオオバキスミレ主成分分析図」は第1主成分をX軸、第2主成分をY軸にして散布図を描いたものです。三角は道南、丸は道北、胆振山地も四角で表して区別してみました。中を黄色く塗ったものは標高500m以上です。
計算の値から、第1主成分は葉形や欠刻の変量から大きく影響を受けており、左つまり負の方向へゆくほど幅広で欠刻の大きい典型的なフギレオオバキスミレを表していると思われます。第2主成分は葉数や節間が大きく影響を与えており、上つまり正の方向へゆくほど植物体の勢いの良さを表しているように思えます。
グレーの楕円形で示した部分は道北のフギレオオバキスミレがその中によくまとまっていることを示しており、そこから外れて左手にある丸印2点は黄金山と暑寒別岳です。また白い三角印で一番左にある点はニセコ山地のものです。
思ったほどはきれいな分離は得られませんでした。勉強不足で今のところこの図から何かを言える力がありません。漠然とですが、相対的に標高の低い地点の中間的な形態のものの集団から、道南・道北それぞれに標高の高い地点でより典型的なフギレオオバキスミレに変化していったという仮説は捨て去られてはいないように思えるのですがいかがでしょうか。なお飛び抜けて左上にある点は遊楽部山塊のものであり、ここのものは、実際に見ても他のところのフギレオオバキスミレとは一線を画しているように思えました。
早いもので山はもう落葉の季節です。今年も何度か釣りをすることが出来ました。釣果は合わせてヤマメが10匹でした。あと一回くらいはなんとか竿を出したいと思っています。
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