その28 2008.8.31

日高山脈北部、剣山のケエゾキスミレ

 日高山脈にはケエゾキスミレがよく似合う。と私はひそかにそう思っています。直線距離で130kmにも及ぶ山々の連なりの、その大半の山にケエゾ キスミレを宿しているからです。山と渓谷社の山渓山岳写真選集の1册に梅沢俊さんの「日高連峰」(1993年)があります。日高山脈の四季の景観の魅力 を、迫力の写真で紹介する大判の本です。本の性格上個別の花の写真は少ないのですが、その中でとても印象的な一枚が目を引きます。ピパイロ岳のケエゾキス ミレです。ゴツゴツした岩場の一部を切取った写真の中に三輪の花をつけた一株。岩の割れ目からほぼ水平にニ本の茎を伸ばし、いかにもケエゾキスミレらしい 細長い葉を広げています。無機的な岩場に、ポッとそこだけ命の輝きを見せる黄色い花、風が来たらゆっくりと回り出すのではないかと思うような凛と伸びた三 枚の葉。花の中心部の昆虫を誘う黄色のグラデーションがいっそう妖艶な雰囲気をかもし出しています。私のもっとも好きなケエゾキスミレの写真です。

 日高山脈の山々は普通の登山者が気軽に登れる夏道のある山が少なく、野性味あふれる沢の中を遡行 したり、沢沿いにつけられた先人の踏み跡をたどって登山しなければならない山が大半です。概念図の中で私が登った事があるのはわずか11。そのうち8つの 山でケエゾキスミレに出会いました。1995年の幌尻岳からはじまるそれぞれの出会いの瞬間を今でも思い出す事が出来ます。それを求めて登っているのです から特に印象が強いのかもしれませんが、そればかりではなくそれぞれのケエゾキスミレのありようが、ひとつひとつ特徴的であったからでもあります。8つの 山それぞれの発見があり驚きがありました。

 今回の探訪記ではその一つ清水町の剣山について記すつもりなのですが、その前に図書館でまず山脈全体のケエゾキスミレのありようについて調べ直し てきました。

 見て来たのは1979年に北海道庁から出された「日高山系自然生態系総合調査報告書(総説・植物篇)」。鮫島惇一郎先生が中心となって、1976 年から3年がかりで行われたこの山域でのもっとも詳しい植生調査報告書です。

 全体で432ページあり、その半分ほどを第 II 章「森林帯の植物」が占めています。この章では山域全域にわたって設けられた84の調査区の植生が報告されています。そのなかに林床植物としてミヤマスミ レ(フイリミヤマスミレも)とタチツボスミレが何度も出てくるのですが、ケエゾキスミレは全く現れません。

 日高山脈の最高峰は幌尻岳の2052mで第二はカムイエクウチカウシ山の1979m。そのあたり中北部が山脈中もっとも標高が高く、南北に離れる に従っておおむね低くなって行きます。しかしペテガリ岳や楽古岳など山脈南部に至っても稜線は鋭さを増し谷はますます深く、高山植物も豊富です。
 これら山岳上部の植生は佐藤謙先生が第 III 章「高山帯の植物」に50ページにわたって報告されています。風衝地群落や雪田植物群落など6類型に分け、25群落を種組成表をともなって詳述していま す。ケエゾキスミレはナガバキタアザミ―リシリスゲ群落など9群落(のべ16山)中に出現しています。特にイワブクロなどと共にケエゾキスミレが目立つ群 落を岩礫地群落中のケエゾキスミレ群落として区分もされています。これらケエゾキスミレの現れる群落の高度は1910mから1215mとかなりの差がある のですが、その群落の成立している高度をその山の山頂の高さで割ってみますと、最高で100%、90%台が多く、最低は幌尻岳の80%。つまりどの山でも ケエゾキスミレは8合目以上でよく見られるということになります。

 私がケエゾキスミレを見た8つの山のうち6つの山ではまさにその通りでした。しかし北部のオダッシュ山と剣山、さらに概念図には表していない北部 の低山地や南部えりも町の低標高の山地では、落葉広葉樹林下やササが優先する土地に普通に生えている場所もあって、この報告書だけでは日高山脈のケエゾキ スミレのありようをつかみきれません。

 ケエゾキスミレがどのくらいの標高に、どのような群落の中に、どんな密度で現れるかというようなことはとても興味深いことですが、その外にも、葉 の形が丸くなってオオバキスミレに似てくる問題、葉の縁のギザギザが不規則粗大になってフギレキスミレに似てくる問題。葉の毛の多い少ないいろいろあって いわゆるトカチキスミレの型が混じってくる問題。あるいはそのトカチキスミレばかりが見られる場所があるのかどうか。あるいは生態的にも北部の低山地のあ る場所のものは非常に丈夫で、育てているとフチゲオオバキスミレと同じくらい長生きします(枯れるのが遅い)。他の場所のケエゾキスミレも同じように長生 きなのかどうか。またその北部低山地のものは時に群生せず、点々と生えることがあるのですが、根を掘ってみると、実は長く繋がっていました。こんな特徴は ほかの場所のケエゾキスミレにあるのかどうか。いろいろと問題意識を持ちながらそれぞれのケエゾキスミレを見て行きますと中々面白いのです。

 今年の6月14日、清水町の剣山(1205m)に登ってきました。日高山脈主稜線上の芽室岳から 十勝平野に向かって派生した支稜の先端にある山です。頂上部は硬い花崗岩の岩体がむき出しになっていて、最後は立てかけられたはしごを登り継いで頂上に立 ちます。岩には天に向かって本物の剣のようなものまで埋め込まれているのです。
 1996年にもこの山に登っていて、黄色いスミレがたくさん生育していることを知っていました。今回は生育高度をきちんと押さえることが主目的でした が、先に挙げたようないろいろな問題意識を持ちながら一つ一つの花を丹念に見てきました。
 前回登ったのは6月9日、道すがらエゾオオサクラソウやシラネアオイがたくさん咲いていて、ケエゾキスミレもきれいに咲きそろっていました。けれども今 回は6月に入って暑い日が続き、予想していた通りケエゾキスミレはほとんど全ての花が終わっていました。最後の最後でようやく咲き残りの花に出会えて溜飲 を下げたといったところでした。
 春の花が終わって、代わりにスズランやチゴユリ、コンロンソウが林床を飾り、目の高さのムラサキヤシオやオオカメノキの花がちょうど見頃で、単調な尾根 登りにアクセントを添えてくれます。ミズナラの多い落葉広葉樹林は標高1000mを過ぎると一変してトドマツ主体の針葉樹の森に代わり、枝からはサルオガ セがぶら下がって幽玄な雰囲気をただよわせています。林床にはイワツツジやコミヤマカタバミ、目の高さにはハクサンシャクナゲやコヨウラクツツジ、イソツ ツジなどのツツジ類が目立ちます。あとはいくつも現れる大きな岩場を避けながら、稜線づたいに山頂へと向かうだけです。うれしいことに大岩の割れ目に、日 高山脈の名花カムイコザクラがまだ咲き残っていました。


 日高山脈のケエゾキスミレが主に針葉樹林帯を越えたいわゆる高山帯に見られるのに対して、剣山の ケエゾキスミレは針葉樹林帯より下部の落葉広葉樹林に生育しています。今回、どこから現れるか、どこまで登っているのか、詳しく見てきましたが、針葉樹林 帯でぴたりと見当たらなくなります。3合目あたりから現れ、特に6合目から7合目付近のササのほとんど無い明るいミズナラ林に特に多く目立ちます。この林 には他にはマイヅルソウやミヤマキヌタソウ、タガネソウ、オクエゾサイシン、シラネアオイなどが多く、またゴゼンタチバナやツマトリソウが混じっているの がちょっと不思議です。
 前回登った時に、最上部のケエゾキスミレは背丈も葉も小さくなり、葉の輪生度も高くなって、日高山脈高山帯のケエゾキスミレに姿形が似ていると感じてい ました。しかし、今回はそのような傾向は見られませんでした。最上部でも、下部で見られたのと同じくらい良く成長し、花もほぼ終わっていました。年によっ て成長の良し悪しがあり、一度の観察だけでの思い込みは良くないと得心しました。螺旋階段のように上から見ていると同じ所を巡っているようですが、少しず つ理解が進んで行くものなのかも知れません。

 ケエゾキスミレの特徴については以前「探訪記その8」、「その15」、「その16」で断片的に書 きましたが、私が今までに見たものの記録を整理してここでもう一度おさらいをしてみます。
 葉は茎の上部にまとまって輪生状につき、3枚のものが多く、4枚以上のものは少ない。花は葉腋から出て普通1花。2花以上のものは少ない。葉は三角状卵 形で細長く、平均すると巾は長さの3分の1ほどです。この特徴は最初に挙げた梅沢さんの写真に良く出ております。
 葉の縁には0.2〜0.4mm程の毛が生え肉眼でも見えるものが多い。葉面にもトゲ状の毛あるいはもう少し長く伸びた毛が生え、普通裏面の方が毛深い。 ただ概念図には示していませんが、えりも町や様似町の低山地に広く生育しているケエゾキスミレは他の産地のものに比べて葉の縁の毛が短く、葉面の毛も少な い傾向があります。

 さて剣山ですが過去二度の観察を総合してみますと、花や葉の数、葉の形、毛深さいずれも平均的なケエゾキスミレの姿をしています。ただ第1葉と第 2葉の間の間隔が他の地域に比べて多少大きいようです。これはオダッシュ山(1098m)や夕張山地のさらに北方の低山地のケエゾキスミレと似ています。


 こうしてみますと日高山脈のケエゾキスミレは山脈上部の1200m以上の高山帯の草地に現れるもの、周辺山地の1000m以下の落葉広葉樹林に現れるも の、さらには山脈南端の低地に現れるものと生育地が大きく分かれているように思えます。
 第1葉が離れがちになるとか葉の毛が少なくなるということはいずれも基本変種オオバキスミレに近い性質です。日高山脈高山帯のケエゾキスミレはこのよう な中間生育地を経由して、そのような場所にも係累を残しながらケエゾキスミレとなったのでしょうか。


(注)日高山脈概念図について

 概念図は以下の資料、サイトを参考にして作成。梅沢俊 ・菅原靖彦「北海道 夏山ガイド 4 増補改訂版 日高山脈の山々」(1994年)北海道新聞社、「日高山脈 自然・記録・案内」北大山の会編(1971年)茗渓堂、「ZigZag 2008」(2008年)ホクレン農業協同組合SS運営開発課、地図センター・彩色地形図日 高山脈主稜全山表

 山名を付した三角印は山脈の稜線を形成する主な山と、そのほかケエゾキスミレを産するとされる山のうち主なもの。

 緑色の三角印がケエゾキスミレを産する山。以下の資料と自身の確認を元に作成。

 渡邊定元「オオバキスミレとエゾキスミレの一群」植物分類, 地理 19(1)(1961年)植物分類地理学会、渡邊定元「札幌営林 局管内の高山植物相(1)〜(7)」札幌林友 146〜148、150〜153(1969〜1970年)札幌営林局、鮫島惇一郎・佐藤謙・他「日高山系自 然生態系総合調査報告書(総説・植物篇)」(1979年)北海道、高橋誼「日高山脈の高山植物」(1981年)第一法規、浜栄助「増補 原色 日本のスミ レ」(2002年)誠文堂新光社、いがりまさし「増補改訂 日本のスミレ」(2004年)山と渓谷社



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