その29 2009.8.31
今年もまた夕張岳にやってきました。夕張岳はとても魅力的な山です。地下深くから浮き上がってきた蛇紋岩が1400mの高みに平原をつくり、その上に頂上山塊や前岳、ガマ岩などがそびえています。標高は1668mと大雪山などに比べるとはるかに低いのですが、ユウバリソウやシソバキスミレ、ユウパリコザクラのような特殊な地質に依存する固有植物、チングルマやシロウマアサツキ、ミヤマリンドウといった湿原植物。エゾノハクサンイチゲ、エゾウサギギク、イワウメといった高山植物など多様な環境に生育する花たちが一堂に会して楽しませてくれます。まさに花の名山の名にふさわしい山です。
私がこの山に登ったのは7月に入ってまもなくの平日でした。前日の小雨降る夕方、登山口に入りました。明くる朝まだ雨は残っていましたが、そのうち回復するはずです。前回訪れたときには冷水コースを往復してオオバキスミレ類を見いだせなかったので、今回はもう一方の馬の背コースを調べるのが主な目的です。登山口の車は数台しかなく、小屋泊まりの人もみな冷水に向かったようで、馬の背は私一人です。息が上がらない程度にマイペースでゆっくり登ります。タニギキョウが可憐に咲いています。エゾムシクイが静かに今山に居ることを教えてくれます。オガラバナが咲き、イワツツジも現れて尾根が細くなってきました。あわゆく見逃すところでした。それはやはり馬の背中のような雪が最後まで残るような場所にわずかにありました。あまり陽があたらないので苦しいのでしょう、根生葉しか見あたりません。葉に欠刻もなくオオバキスミレ的な姿をしていました。
やがて、道が冷水コースと合流すると、前岳の裾を斜めに登りながら半周するようなルートで夕張岳の平原地帯を目指します。このルートはオオバキスミレ類がもっともたくさん見られるところです。今年は雪解けが遅かったけれどもあちこちで花が咲き始めていました。葉に不規則な欠刻のあるフギレキスミレもあります。
途中望岳台と呼ばれる広場で小休止。雨は上がりましたがまだ芦別岳は望めません。シナノキンバイにカメラを向けていた女性に声を掛けました。本州から夫婦で来られたそうですが、パートナーは体調不良で遅れているとか。シラネアオイがたくさん見られたことに驚いていました。
湿原の入口、憩沢はようやく雪渓が消えたばかり、いつもならこの時期花で埋まっているはずなのに、まだミズバショウが咲いていたのには驚きました。それでもわずかにフギレとそうでないキスミレが仲良く並んで咲いていました。
湿原を過ぎるとまたオオバキスミレ類が道ばたに現れます。それがどこまで続くか見て行きますとガマ岩とヒョウタン池の間を通り、あと数十歩で蛇紋岩崩壊地の木道に着くという所まで連続するのです。茎生葉よりもむしろ根生葉にフギレが目立ちます。
この崩壊地斜面にはシソバキスミレが咲いています。昔はすぐ近くでも見られたように記憶していますが、今は双眼鏡でしか観察できません。このシソバキスミレは夕張岳にしか分布していませんが、オオバキスミレから適応進化したものと言われています。図鑑類のどの写真を見ても葉の長さは幅よりも小さく見え、すぐ近くまで迫っているオオバキスミレ類とは葉の形が異なっています。橋本保著「日本のスミレ」にも書かれていますように全く連続性がありません。このことはこの二つのスミレのこの山への到達時期がそうとう離れていることを物語っているのではないでしょうか。そしてこの二つの近似種が夕張岳で出会ってからでも数千年あるいはもっと時間がたっているでしょう、その間互いの生育地にいく度となくタネを飛ばしてきたはずです。しかし今までの知見ではどちらも互いの陣地では全く生育できていないようです。旭川市北邦野草園の園長堀江健二さんは「北海道・超塩基性岩植物の化学的特性に関する研究」でシソバキスミレが強ニッケル集積植物であると報告されています。植物の生育障害のもとになるニッケルを多量に含む蛇紋岩地でも生きてゆけるような遺伝的形質変化が起きているらしいのです。
長年夕張岳の植物を調査され、江澤弘志著「夕張山系の高山植物」の解説文を書かれた野坂志朗氏は、昭和29年、初めて訪れたとき、ガマ岩を過ぎた崩土帯斜面のユウパリコザクラ、クモマユキノシタ、シソバキスミレ、シブツアサツキなどの美しさに驚嘆したという思い出で文を締めくくられています。今はただの裸地に見えるこの斜面がいったいどれほどのシソバキスミレで埋め尽くされていたのでしょう。最近ようやく登山道に木道と柵が設置されましたが、いつの日かその美しい景観が復活することを祈らずにはおられません。
道は再び湿原地帯となり、オオバキスミレ類は見られなくなります。釣鐘岩のコルを抜けると吹き通しと言われる蛇紋岩崩壊地に出ます。ここは固有種ユウバリソウが生育することで有名です。その他にも珍しい植物が目白押しですが、ロープを越えて写真を撮る人が跡を絶たないのは残念です。一見裸地のように見えるところをよく見ると、とても小さな黄色いスミレが所々に咲いています。エゾタカネスミレです。夕張岳ではここにしか生育していないとされています。どのような由来でこの場所に咲いているのかこれも不思議な花の一つです。この場所は頂上部への最後の登りを前にした休憩の適地なので一度に大勢の人がおしよせると、知らずに踏みつけてしまいそうです。手遅れにならないうちになんとか良い知恵を出したいものです。
5時間半以上かかってようやく頂上部に到達しました。ここで再びオオバキスミレ類が顔を出します。茎生葉に欠刻は見られず毛もそこそこ生えているのでケエゾキスミレとも呼べるのですが、二つに一つは第1葉と第2葉の間が離れているのが悩ましいところです。根生葉の中には多少のフギレが見られるものもありました(根生葉だけにフギレ傾向が見られるという現象は道内の他の地域でもあります)。やはり登山道沿いで見たものと違いはなさそうです。
なごりは尽きねど下山の時間がやってきました。今回の登山で夕張岳のオオバキスミレ類が頂上から標高差600m以上に渡って生育していることがわかりました。最も色濃く見られたのは前岳の東側一帯でした。フギレキスミレが見られたのも、一番毛深かったのもそのあたりでした。そういえば今回の登山中残雪に出会ったのもそこだけでした。ここでもやはりオオバキスミレ類のありようには積雪が深く関わってくるようです。
頂上から少し下がったところにお宮のある広場があります。そこで先ほど望岳台で出会った女性がいました。パートナーもいっしょで、どうやら元気になられたようです。充分夕張岳の花を堪能されましたかと声をかけると、にこやかに笑顔を返されました。青空が広がり、ルリビタキのさえずりが遠く近く木霊のように響いています。私も大いに満足して夕張岳を後にしました。
上の表は夕張山地周辺のオオバキスミレ類の形態を比較してみたものです。夕張山地は夕張岳(1668m)、芦別岳(1726m)、富良野西岳(1331m)の3ヶ所。そのなるべく近くと言うことで北側の2ヶ所、芦別市と美瑛町、東側で2ヶ所、佐幌岳(1060m)とオダッシュ山(1098m)を揚げてみました。芦別市の場所は探訪記19に採りあげた所です。
芦別市の北側には旭川市をはさんで道北のオオバキスミレ地帯が広がっていますし、オダッシュ山の南側には日高山脈のケエゾキスミレ地帯が広がっています。従ってこの表に記した地帯はそのちょうど中間地帯ということになります。
夕張岳については以前に調査した結果に、今回の馬の背と頂上部のデータを加えて表を作ってみました。
葉の数と第1節間についてはわずかですが北から南へ向かって少なくなって行く傾向が見られるようです。オオバキスミレ的なものからケエゾキスミレ的なものへの傾斜ということです。毛深さについても同様の傾向が見られます。これはケエゾキスミレは毛深く、オオバキスミレは毛がないという一般的な理解に反するようですが、道北のオオバキスミレ類は全体的に毛深いのでとくに不思議な結果ではありません。むしろグラフではかなり場所によってのばらつきが目立つと言った方が当たっているかもしれません。
第1葉の欠刻の割合は芦別岳、夕張岳、富良野西岳の順に飛び抜けていて他は欠刻なしという結果になりましたが、これはフギレキスミレが入っているのでこうなります。特に芦別岳はフギレキスミレの基準標本の産地ですしフギレていないものは少ないようです。
フギレキスミレについてもフギレオオバキスミレと同様不規則に切れ込むとか欠刻があるというように言われますが、私はむしろ閉じた手のひらの指を開いたような状態と考えると理解しやすいのではないかと思っています。そうすると自ずと幅が広がりますので、第1葉の幅/長さの値も高くなります。この点を勘案しますと、葉の形は北から南に徐々に細くなって行くように見えます。
以前にも書きましたが、道内のオオバキスミレ類はどこでも第1葉より根生葉の方が幅が広く、欠刻がある場合にはその割合も大きくなる傾向があるように見えます。夕張山地3ヶ所をグラフで比較してみますと、やはりいずれの場所でも根生葉の方が大きくなっているようです。光合成の稼ぎ手として、少しでも葉の面積の広い方が翌年以降の花芽の形成に有利だからでしょうか。
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