その5 2004.3.31
今までに見たオオバキスミレ類を変種毎に分けて分布図を描きだしていますが、基本変種オオバキスミレの図を描いて、当の本人も驚いています。ずいぶんすっきりと道南、道北に別れてしまったこと。
こういう分布様式は他の植物でも知られています。ドクウツギ型と呼ばれて、イワナシやキバナイカリソウなどが有名です。この分布型をとる植物は積雪と深い関係があると言われています。
オオバキスミレも雪の深い東北地方日本海側に多い植物ですから、北海道でもその性質を受け継いで、道南・道北の日本海側にまとまって分布するのかも知れません。そして分布が飛び離れるのは、遠い過去に連続的に分布していたものが、その後の気候の変化で中間部分が生育に適さなくなり消えてしまったのかも知れません。逆に生育に適するようになった土地ではやがて徐々に分布を広げて、比較的見つけやすくなっているのかも知れません。
北海道のオオバキスミレの分布がきれいに南北に別れて、これで一件落着というわけではありません。その中間にオオバキスミレの報告がいくつかあります。北大の標本庫には一枚だけオオバキスミレの標本があるのですが(1993年当時)、その産地は岩内の山地です。私はその場所のあたりを三度訪れて、探しましたが、未だに見つけることが出来ません。また、小樽市博物館にもやはり一枚だけ標本があります。それは小樽市内なのですが、そこにも何度か足をはこんでみました。すでにまわりは住宅街なっていましたが、とてもオオバキスミレの生育適地とは思えない場所です。ここのものについては、植樹の根回しなどについてきてその後消えてしまったのではないかと思っています。
このほかにも余市やニセコなどにもオオバキスミレという文献の記述があります。単に私が探しきれていないだけなのかも知れません。
もう一つ、問題なのは、オオバキスミレとフギレオオバキスミレの形態の連続性についてです。
「北海道の自然と生物 9」(1994)に掲載された柴田敏郎・三浦忠一両氏の報告で初めて、天塩山地で山麓から山頂にかけて分布する種オオバキスミレの葉形がオオバキスミレ型からフギレオオバキスミレ型へと連続的に変異することが明らかにされました。その後、私も天塩山地の別な山と道南の二つの山で同様の傾向を確認しました。また樺戸山地についてもそうではないかと思っています。オオバキスミレとフギレオオバキスミレの問題については、またページを改めて書きたいと思いますので詳しくは書きませんが、フチゲオオバキスミレを除いた、種オオバキスミレの葉形は実に様々なものがあり、全体として、低地にオオバキスミレ型が、山地にフギレオオバキスミレ型が分布しています。一ヶ所で見られる形はおおむねまとまった形をしていますので、例えば、二万五千分の一地形図の範囲内で一ヶ所だけ見つけたとしますと、時には、その一群の名前をオオバキスミレとすべきかフギレオオバキスミレとするべきなのか迷うこともあります。つまり、最初のページのように全部ひっくるめた分布図を描くなら問題がないけれど、各変種毎に分布点を打とうとすると、このことが問題になります。しかしここで立ち止まってしまっては先へ進めませんので、とりあえず多少なりとも共通してギザギザがあればフギレオオバキスミレ。ギザギザの葉を持つ個体もあるけれども、おおむねギザギザのない一群は全部まとめてオオバキスミレとするという方針で臨みました。
この点に関しては橋本保氏が「日本のスミレ」のなかの夕張山地のフギレキスミレの項で、「そこでは葉縁にほとんど欠刻のないものもありますが、多かれ少なかれ歯牙縁となっているところから同一変種に含めるのが合理的でしょう。」と書かれているのに力を得て、一つの群落には、二つの地理的変種は混在しないという事にしました。
もう一つ問題があります。
私が1998年5月にアポイ岳を訪れたときです。帰りに登山口のビジターセンターに寄って展示資料をながめている内に、東北大学の山路弘樹さんの論文「様似町の植物相」(1997年)を見つけました。
その中の様似町のスミレ科目録に、エゾキスミレ、ケエゾキスミレ、トカチキスミレと並んで、驚いたことにオオバキスミレの名前がありました。よりによって亜種エゾキスミレの分布域の一番端っこにです。
いままでにも、オオバキスミレが夕張山地に産するという報告はいくつかありましたし、いがりまさしさんの「日本のスミレ」にも、「オオバキスミレの仲間の見分け方」という記事の中で、「夕張山地などではケエゾキスミレ、フギレキスミレ、オオバキスミレ、ミヤマキスミレなどの特徴をもつものが渾然一体となって生育しており、どの名前を採用すべきか苦慮することも少なくない。」と書かれています。また渡邊定元氏の「オオバキスミレとエゾキスミレの一群」にも日高山脈の幾つかの山にオオバキスミレのごとき型を生ずると書かれています。
ですから、アポイ岳の近くにオオバキスミレそっくりのものがあっても別に驚くことでは無いのかも知れませんが、普通は先ほどの合理的な考え方によって、例外を取り除き、一般的な方の名前を採用するのだと思います。しかし、そういうようにあらかじめ色眼鏡をかけてものを見るのではなく、あるがままに自然を見たら見えてくる世界も変わるかも知れません。山路さんの論文にはそういうメッセージも含まれているのかも知れません。
さらに、もう一つの問題(問題が多いな〜)。それは品種ミヤマキスミレの扱いです。五十嵐博氏は論文「北海道におけるオオバキスミレ類の分布(予報)」の中でオオバキスミレの産地に続いて、ミヤマキスミレの産地をいくつか報じました。そのうちオオバキスミレの産地と重複するのは1ヶ所だけで、あとはこれらが含まれておりません。これはおそらく先ほどからの合理的判断で群落全体をミヤマキスミレと同定されたものだと思います。
私は、それらの場所のいくつかに実際に行ってみました。また自分自身でもこれはミヤマキスミレと言えるのではないかというような群落に出会ったこともあります。しかし、私には一つの群落をミヤマキスミレとしてオオバキスミレと分けてしまうことが、どうしてもストンと腑に落ちてこないのです。この点についてもあとで改めて考えてみることにして、ミヤマキスミレと言えるようなものも含めて総てをオオバキスミレとして分布図を描きました。そしてこの探訪記では、とりあえず各品種の分布図は描かないということにしたいと思います。(ここまでが2001年の探訪記でした。)
2002年の春、胆振にお住まいのMさんから写真付きのメールが送られてきました。この「探訪記」をご覧になって初めてメールを下さったのです。その写真とMさんの観察結果に驚きました。山登りをよくされるMさんは、裏庭とも言える山のふもとのさほど離れていない場所で同時にオオバキスミレとフギレオオバキスミレの二種類を見つけてしまったのです。それはフチゲオオバキスミレの分布地のまっただ中でした。胆振地方の山地にフギレオオバキスミレが産することは知っていましたが、まさか、フチゲオオバキスミレの近くでこれらが見つかるとは思ってもみませんでした。
直接は見ていませんので分布図には図示していませんが、当初のイワナシ型の分布仮説?はもろくも崩れました。そしていきなりここでも興味深い問題が二つも現れてしまったのです。一つは、フチゲオオバキスミレとオオバキスミレの棲み分け。もう一つは、オオバキスミレとフギレオオバキスミレの連続性の問題です。特にあとのほうの、すぐ近くに両型が見られるというMさんの指摘以来、私の関心は、道内のいろいろな地点でどんなオオバキスミレが現れるのか見てみたいというものから、ある一ヶ所で見つけたら、その近くのものは皆同じものなのだろうか、より詳しく観察する方向へ向き始めました。
そして、このホームページで10年のまとめを書いたら、そろそろ足を……と考えていたのに。もう来シーズンの夢を見始めている私なのです。
雪解け後の斜面一面に群生する群落の様子 2001.4.29 松前半島にて |
カタクリなどと共に群がって生える 2001.4.29 松前半島にて |
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エンレイソウの傘の下に生える 2001.4.29 松前半島にて |
一茎三花もよくあります。一枚だけの葉は根生葉 2001.5.20 中川町にて |
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群生する群落の様子、花が皆同じ方向を向く 2001.5.20 中川町にて |
重なる葉が地面を覆い、太陽光を独占して咲く 2001.5.20 中川町にて |
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